極私的連合赤軍試論

ところで何故私が日共或いは新左翼と連赤に問題意識を持ったかというと日共が混乱していた時期に採用した火炎瓶闘争、過激なだけで殆ど実体も内容もなかった山村工作隊も含んだ蜂起主義による極左的軍事武装闘争路線と日共に代表される所謂ハウスキーパー路線やドグマチックな無謬主義に誤った歴史のアナロジーを感じ取ったからです それ故に連赤は必然的に当初の志し半ばにして敗北すべくして敗北したのだと思っています まさしく新旧左翼の負の歴史が繰り返されました 劇作家の清水邦夫が将門に重ね合わせた権力の包囲網からの敗走でした 権力に依るアパートローラー作戦などの偶然の積み重なりで あさま山荘に籠城した彼らは毛沢東の山岳根拠地論を具現化することなく、あさま山荘に到着して逃げ込んだのに過ぎなかったのです 同志虐殺が明らかになる以前には銃撃戦を手放しで賞揚していた新旧左翼諸党派は一斉に手の平を返して沈黙した後に口を極めて連赤を指弾し、断罪したのは周知の通りです 左翼運動に壊滅的な打撃を企図して遺体発見後に一度埋め直してマスコミに公開した権力の情報操作は見事に成功して今まで少なからず心情的に支援と支持をしてきた一部の普通の人々や一般人と市民はは
反戦平和活動にコミットしたら殺し合いだという恐怖感と先入観や偏見を植え付けられ離反してしまった結果、左運動は所謂冬の時代に入ってしまったのです 公安からの情報をベースにした高木彬光神曲地獄篇や映画監督協会の新人監督賞を受賞して後年若松監督に激しく批判された熊切某監督によって彼らの崇高で純粋な志しと理念は愚弄、侮辱、罵倒、改竄、歪曲された揚げ句、結果的には何度も繰り返し殺されただけでなく報われなかったのです 私はとても無念だと今でも思っています とても悔しくて堪らない思いを抱き続けてきました 彼らに激しく深い時代の痛みを感じ続けてきました これがこのブログを開始した動機、目的なのを一人でも多く理解していただき、反論や異論なども含めた新たな検証と総括を出来る限り共有し、交流していきたいと あらためて考えています それが私の原点であり、拙いマニフェストです あらためて宜しくお願いします また明日も気長に思索しながら私の生きて愛して闘ってきた人生と必死に生きた証を綴っていきたいと思っています ご覧になった方が要らしたら、率直で真摯な意見や考えを聞かせてください 再度お願いします❗