極私的連合赤軍試論

私は現在60歳で、1972年私が18歳の時にあさま山荘連合赤軍が日本の左翼運動で最初で最後の銃撃戦を展開した後に敗北した私にとっては今もなお鮮烈に脳裏に刻み込まれている年だった その後私も或る党派に参加して、あの頃を回想したり、追憶するだけでなく当時の言葉で言う総括を今でも自分なりに試みてみようと考えてブログを今日から始めた次第です ちょうど偶然にも高校の近くの図書館で借りたポール・ニザンのアデン・アラビアで彼がカミュとの異邦人論争に敗北してフランス共産党を脱党して、あのあまりにも知られた僕にとって二十歳が美しいなどとは誰にも言わせまいという苦渋に満ち溢れたエピグラフ連合赤軍の敗北とは私の深く激しい記憶の中で重なっています 森田童子の歌った僕たちの失敗の鮮烈なイメージを根底にして、明日以降長い時間をかけて私論或いは試論を展開していきたいと思っています 同世代、先行世代を問わず、興味と関心や問題意識を持たれた方に読んでいただき補足をしたり、意見交換や交流が出来たらと年甲斐もなく今からとても楽しみにしています ロンリネス均こと心は孤独な狩人