極私的連合赤軍試論

こんにちは 梅雨明けしたけど、毎日とても暑い上に台風が北上接近中で体調を崩している方もいらっしゃると思います 私は個人的な問題が山積して心身共に疲弊し切っていて昨日もブログを書けませんでした もし一人でも読んで興味と関心、問題意識を持ってくださった方がいらしたら、あらためてごめんなさい 少し連赤を離れて私事を書きますが、少しだけお付き合いください 私の父親は中国戦線から復員して某万年筆会社に入社し気の狂った実母と私達子供三人を育て上げてくれた生真面目で融通性の殆どない男でした 或る日姉の中学校の担任の菅沼先生という日共党員だった方が家庭訪問の際に父親に赤旗の日曜版の講読依頼をされて読み始めたのが社会問題に関心を持ち始めたきっかけでした 当時はベトナム戦争ベ平連に代表されるベトナム反戦運動と並んで沖縄の基地問題,イタイイタイ病などの公害病問題、日共と部落解放同盟との対立と確執が毎週新聞の一面に殆ど欠かさず載っていました 私は沖縄の基地及びベトナム公害病患者の置かれた現状に関心以上に激しい怒りと憤りを感じて徐々に問題意識を深めていきました 後年所謂あさま山荘事件の際の当時の赤旗の記事の共産主義とは一切無縁な過激派、ニセ左翼暴力集団という一方的に断罪した表現にとてもやりきれない思いと同時に一体彼らが何を目指して何故敗北したのかという素朴な疑問を持ちました これが連赤問題を考え始めた最初のきっかけでした 話しが回りくどく若い方には尚更分かりにくいとは思いますが、もし疑問があれば、その都度提示していただきながら私なりの検証と総括を更に進めていきたいと思っています

極私的連合赤軍試論

ところで何故私が日共或いは新左翼と連赤に問題意識を持ったかというと日共が混乱していた時期に採用した火炎瓶闘争、過激なだけで殆ど実体も内容もなかった山村工作隊も含んだ蜂起主義による極左的軍事武装闘争路線と日共に代表される所謂ハウスキーパー路線やドグマチックな無謬主義に誤った歴史のアナロジーを感じ取ったからです それ故に連赤は必然的に当初の志し半ばにして敗北すべくして敗北したのだと思っています まさしく新旧左翼の負の歴史が繰り返されました 劇作家の清水邦夫が将門に重ね合わせた権力の包囲網からの敗走でした 権力に依るアパートローラー作戦などの偶然の積み重なりで あさま山荘に籠城した彼らは毛沢東の山岳根拠地論を具現化することなく、あさま山荘に到着して逃げ込んだのに過ぎなかったのです 同志虐殺が明らかになる以前には銃撃戦を手放しで賞揚していた新旧左翼諸党派は一斉に手の平を返して沈黙した後に口を極めて連赤を指弾し、断罪したのは周知の通りです 左翼運動に壊滅的な打撃を企図して遺体発見後に一度埋め直してマスコミに公開した権力の情報操作は見事に成功して今まで少なからず心情的に支援と支持をしてきた一部の普通の人々や一般人と市民はは
反戦平和活動にコミットしたら殺し合いだという恐怖感と先入観や偏見を植え付けられ離反してしまった結果、左運動は所謂冬の時代に入ってしまったのです 公安からの情報をベースにした高木彬光神曲地獄篇や映画監督協会の新人監督賞を受賞して後年若松監督に激しく批判された熊切某監督によって彼らの崇高で純粋な志しと理念は愚弄、侮辱、罵倒、改竄、歪曲された揚げ句、結果的には何度も繰り返し殺されただけでなく報われなかったのです 私はとても無念だと今でも思っています とても悔しくて堪らない思いを抱き続けてきました 彼らに激しく深い時代の痛みを感じ続けてきました これがこのブログを開始した動機、目的なのを一人でも多く理解していただき、反論や異論なども含めた新たな検証と総括を出来る限り共有し、交流していきたいと あらためて考えています それが私の原点であり、拙いマニフェストです あらためて宜しくお願いします また明日も気長に思索しながら私の生きて愛して闘ってきた人生と必死に生きた証を綴っていきたいと思っています ご覧になった方が要らしたら、率直で真摯な意見や考えを聞かせてください 再度お願いします❗

極私的連合赤軍試論

ところで何故私が日共或いは新左翼と連赤に問題意識を持ったかというと日共が混乱していた時期に採用した火炎瓶闘争、過激なだけで殆ど実体も内容もなかった山村工作隊も含んだ蜂起主義による極左的軍事武装闘争路線と日共に代表される所謂ハウスキーパー路線やドグマチックな無謬主義に誤った歴史のアナロジーを感じ取ったからです それ故に連赤は必然的に当初の志し半ばにして敗北すべくして敗北したのだと思っています まさしく新旧左翼の負の歴史が繰り返されました 劇作家の清水邦夫が将門に重ね合わせた権力の包囲網からの敗走でした 権力に依るアパートローラー作戦などの偶然の積み重なりで あさま山荘に籠城した彼らは毛沢東の山岳根拠地論を具現化することなく、あさま山荘に到着して逃げ込んだのに過ぎなかったのです 同志虐殺が明らかになる前に銃撃戦を手放しで称賛した新旧左翼諸党派は一斉に手の平を返して沈黙した後に口を極めて連赤を指弾し、断罪したのは周知の通りです 遺体発見後に埋め直してマスコミに公開した権力の情報操作は見事に成功してさよ

極私的連合赤軍試論

私は現在60歳で、1972年私が18歳の時にあさま山荘連合赤軍が日本の左翼運動で最初で最後の銃撃戦を展開した後に敗北した私にとっては今もなお鮮烈に脳裏に刻み込まれている年だった その後私も或る党派に参加して、あの頃を回想したり、追憶するだけでなく当時の言葉で言う総括を今でも自分なりに試みてみようと考えてブログを今日から始めた次第です ちょうど偶然にも高校の近くの図書館で借りたポール・ニザンのアデン・アラビアで彼がカミュとの異邦人論争に敗北してフランス共産党を脱党して、あのあまりにも知られた僕にとって二十歳が美しいなどとは誰にも言わせまいという苦渋に満ち溢れたエピグラフ連合赤軍の敗北とは私の深く激しい記憶の中で重なっています 森田童子の歌った僕たちの失敗の鮮烈なイメージを根底にして、明日以降長い時間をかけて私論或いは試論を展開していきたいと思っています 同世代、先行世代を問わず、興味と関心や問題意識を持たれた方に読んでいただき補足をしたり、意見交換や交流が出来たらと年甲斐もなく今からとても楽しみにしています ロンリネス均こと心は孤独な狩人